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清朝の後宮制度。

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清朝の後宮制度。

清朝の後宮制度について。

最近までよく中国ドラマを見てまして、
清朝の後宮が良く出てきました。
閉じた環境の人間ドラマは実に生々しく、
色々怖い話が多いですね。

おおまかに清朝の後宮についてまとめてみました。

ウィキペディアでは
皇貴妃(定員1人)、貴妃(定員2人)、妃(定員4人)、
嬪(定員6人)、貴人(定員なし)、常在(定員なし)、
答応(定員なし)、官女子(定員なし)。
位号の前に漢字1字(封号)をつけることが許されていた。

皇貴妃の上には皇后があります。当然一人のみ。
皇貴妃は貴妃がある程度の年齢や、子供を産んだなどの功績、
実家の家族が仕事をがんばったなどで昇進することが
多かったようです。
昇進するとお賃金が増え、嬪以上は大きな宮殿を
独り占めすることが許されました。
寵愛の程度で内務府(宮殿全般の管理課)が、
後宮の女性への給付品などを変えることは、
良くすることはあっても悪くすることはまずなかったと思われます。
(悪くして、後でえらくなった女性に逆襲されたら大変)
 
皇后は最初から決まってる場合が多く、
後添えからなる場合は皇貴妃から昇格していたらしい。

ドラマでは、身分の低い娘が皇帝から見染められて、
後宮入りするという話もありますが、現実には恐らくなかったでしょう。

清朝の皇帝といえば、当時の世界最大国家の王様であり、
その警備は今の中国の国家主席並みに厳しかったはずです。
当然、その目に入る範囲の人間は、全て選別されており、
わずかでも後宮入りする可能性がある仕事につく女性には
厳しい審査と検査があったと思われます。

また、後宮入りする女性は満州族か、あるいは遠方の
清朝支配下の民族に限られ、漢族からは選ばれていません。
おかげであんまり美人はいなかったようです。

後宮入りする女性は、書画琴棋はもちろん、
四書五経に通じ、舞踊などの特殊技能があることも望まれます。
将来皇帝の子供を産んだ場合、その教育にもかかわるので、
無学な人では務まらなかったのです。
その修行は描写はされないけど非常に大変で、
一定以上のレベルの名門一族でないとこのような教育はできないので、
自然と後宮の人材は高度な教育を受けた人の集まりになります。
今でいう大学修士レベルでしょうかねえ。

これが清朝の皇帝に暗愚の君がいない理由の一つです。

ほとんどの人は貴人どまりで、一定の実家の後ろ盾などがないと、
それ以上にはなかなかいけなかったようです。
仕えていた皇帝が亡くなると、みんな寺院入りすることになる
(母親のみ皇太后になる)という、なかなか辛い話で、
後宮入りするのも決して幸せな話ではなかったのかも知れません。

また、皇后はともかく、他のお妃たちに関しては、皇帝といえども
偏った寵愛をすることはできなかったようです。
上の位の妃ほど、実家の実力が強い場合が多いので、
政治問題化すると内乱の種になるので。
ドラマでは寵愛が偏ったり、何年も皇帝に会ってないお妃が
いますが、実際にはそういうことはなさそう。
ある程度の平等性というか、機会の平均化は行われていたようですね。

後宮というと色っぽい感じがするけど、実際には
皇帝の跡継ぎを大量に作る必要から生じた国家機関なのであります。
当時は子供が成人まで無事に成長する割合はかなり低く、
20人の子供がいても、成人するのは3~4人ほどだったとか。
それ故、皇帝は一種の種馬として、毎晩頑張らなくてはいけなかったのです。
皇帝もあんまり楽しくはなかったのかも知れないなあ・・・。



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